未練がましい私の話

ドラマの真似事みたいだと思った。テーブルの上に「今までありがとう」なんて置手紙だけ残して、あんたは消えた。ありがとうなんて一度も言ったことなかったじゃないか。私は置手紙をくしゃくしゃに丸めて捨てる。だけど、最初で最後のありがとうだと思ったら何だか苦しくなって、私はごみ箱から丸まった置手紙を拾い、広げてテーブルの上に置きなおしていた。今もまだ、ありがとうはテーブルの上にある。

あんたの真似して吸い始めた煙草は、今となっちゃすっかり私の肺に馴染んでしまって手放せないし、あんたの真似して買うようになったべとべとに甘いジュースは今じゃ私のお気に入りだし、あんたが好きだと言って観た映画の台詞も覚えてる。あんたが教えてくれた音楽は私のBGMになって今もこの部屋に流れていて、私一人のはずなのにまるでまだあんたが居るみたいだ。

どうせなら、私が何もかも捨てられるように汚い言葉を投げつけて出て行って欲しかったな。ありがとうなんて優しい言葉で、勝手に終わらせた気になって出て行って、結局あんたは最後まで自分勝手な奴だった。だけどこうして缶チューハイ片手にあんたを思い出してる私は情けなくて涙が出る。もう一度逢えたらひっぱたいてやるなんて思うけど、きっとそんなこと出来ずに抱き締めてしまったりするんだろう。情けないな、恥ずかしいな、涙が止まらないのよ。

出会った時のあんたは行く宛てのないギター弾きだった。私の部屋を出て、今度はどこへ行ったの。もしまた行く宛てもなく彷徨っているなら、早く帰ってくればいい。あんたの特等席だったソファは空けておくから。ちゃんとおかえりって言ってあげるから。

 

缶チューハイを飲み干して、ぼんやりしてきた頭で、追いかけることもできなかったあんたの後ろ姿を想像した。

オンナ

大塚駅で電車を降り、向かう先はすっかり通い慣れてしまった小さな風俗店。看板には『三回転4000円ぽっきり!』などと書かれてある。安っぽい電飾で飾られた店内は既に数人の客が接客を受けていた。私は更衣室に入り着替えを始める。赤いチェックのミニスカートに白いブラウスがここの「制服」だ。

私が着替え終わる頃、見慣れない顔の女が一人、失礼しますと言って入ってきた。

「新人さん?」

私が尋ねると、彼女は可愛らしい笑顔ではいと答えた。まだ大学生くらいだろうか。若くて可愛い女は嫌いだ。私は頑張ってねと心にもないことを言って、待機室のドアを開けた。

「新人入ったね。」

ドアを開けるなり、私より半年ほど遅れて入ってきた同い年の女が言う。彼女とは、ここでだけ友人のような付き合いをしてきた。

「そこであったよ。まだ若そうだった。」

私はソファに座るなり煙草に火をつける。

「あんな若い子が身売りなんて、世の中どうなってんだか。」

「遊ぶ金が欲しいんでしょ。他の店じゃ高校生も紛れてるらしいよ。」

「やだねぇ。」

本当に嫌になる。歳を重ねると周りには自分よりも若い女が増えていくからだ。無視出来ない恐怖と苛立ちに頭を抱えてしまう。私は愛でられたかった。愛されたいなんて高望みはしないから、せめて女としていつまでも扱われたいと思っていた。風俗に足を踏み入れたのも、その為だ。恋人などを作るより、手っ取り早いと思ったのだ。

「あやさん入ります!」

私の源氏名が店内にコールされる。吸いかけの煙草を灰皿に押し付けて、私は客の待つ席へ向かった。

私の客はもう常連ばかりだった。新規のお客は皆若い女を選ぶ。ここでは女の鮮度も短い。

「久しぶりだね。」

二人掛けのソファに座る男が私を見るなり言う。私は笑顔で「待ってたよ」などといって、男の膝の上に乗った。隣に座るより、この方がこの男には喜ばれるのだ。他愛のない会話をしながら、私は慣れた手つきで男の体に指を這わしていく。男が果てて店を出るまでの間、私は献身的な女を演じるのだ。次も私の名前を呼んでもらえるように。

常連客が満足した様子で店を出ていくのを見送り、待機室へ戻った。顔見知りの女たちが口々にお疲れ様と声をかけてくる。そこにさっきの若い新人はいなかった。

「新しい子、もう呼ばれたの?」

「いきなり本指名だってさ。」

私は露骨に嫌な顔をしてしまった。誤魔化すように再び煙草を咥える。新人の女はそれから何度か接客をして、終電前に店を出て行った。私は明け方まで接客を続け、朝日が昇る少し前に店を出た。いつもより疲れたように感じるのは、きっとあの新人のせいだろう。今までも何度か経験した。若い新人が入るたび、私は自分が恐くなる。ここで居場所をなくしたらもうどこにも私を愛でてくれる人間なんていないのではないかと、恐くなるのだ。

若く可愛くありたいと思うのは、女として生まれてきたことの呪いみたいなものだろう。愛でられたい。そんな風に思い始めたらもう、呪いから逃げることはできない。ならばいっそ、皺だらけになる前に死にたいと思った。女として生まれてきた私の人生が、女のまま終えられないなんて、悲劇でしかない。

私はこの呪われた身体で満たされない心を抱えながら、今日も帰路に着く。

私が腕を切る理由

教室の窓から昼休みの中庭を眺めていた。風が少し冷たい。視線の先には、恋人と一緒にお弁当を食べながら笑い合っている可愛いあの子の姿が見えた。何を話しているのだろうなんて考えているうちに、笑い合う彼女が段々と風景の一部になっていく。聞こえてくる声も遠くなり、私はどんどん独りになっていった。

 

教室には他にも一人で座っている同級生が数人いたけれど、そんなことは何の気晴らしにもならない。私はただ孤独だった。この持て余した孤独をどうにか追いやりたくて、私はお守りのように持ち歩いているカッターを鞄から取り出し、誰にも見られないようにしてギュッと手の中で握りしめる。

 

あの子の顔が浮かんだ。いつもこの教室で一緒にお弁当を食べていた。他愛もない冗談で笑いあっていた。私にできた唯一の友人。けれど今は、そんなのも昔話だ。私はあの子の恋人を憎んだ。私からあの子を奪った男だから。でも今はあの子さえ憎たらしかった。簡単に私を切り捨てたあの子は尻軽女だ。

 

無性に腹立たしくなって、私は慌ててトイレへ逃げ込んだ。いつもこうだった。あの子のことを考えては怒りが湧き、けれどこの怒りをぶつける宛はなくて、仕方なく私は私を傷つける。痛みで怒りを誤魔化すためだった。トイレの中、握りしめていたカッターで何度も腕を切る。便器に溜まった水が真っ赤になり、それを見てようやく落ち着く。

 

こんな毎日があとどのくらい続くのか。考えれば地獄だった。けれど、あの子はもう私のところへなど戻ってこない。私は明日もきっと腕を切る。もう何もかも、元通りにはならないのだ。